乃木将軍御遺邸略記

 特に乃木希典夫妻が農耕をされたのは、明治二十五年および三十一年の休職の間、明治三十四年より三十七年までの休職の期間であり、軍職にあつても、ここに来て農業に従事しました。そして「農は国の大本」ともつぱら勧農の範をたれました。
 大正元年九月十三日夫妻御殉死の遺言により邸宅その他はすべて御実弟大舘集作氏の所有となりましたが、やがて御遺跡全部は県下諸学校の浄財寄金により、乃木神社に奉献されました。
(旧乃木家別邸本屋、納屋、肥料舎、石蔵、水車小屋、その他二棟、外御遺物百余種、耕地三ヘクタール、山林原野一〇ヘクタール余) 昭和五年九月十三日、御例祭の日を期して、この奉告祭が行なわれました。以来今日にいたるまで、御神威弥々照り輝き参拝参詣の人々は日に多く、御遺跡拝観の方々も御祭神御在世の御模様をしのび敬仰の念を更に深めております。